パズル問題自動生成時代 -- 概論
普及するパズルとは
シンプルなルール
パズルのルールは、非常にシンプルでないといけない。 余分なものをしっかり削り落とし、 一度説明されて1、2問遊んだら、もう一生忘れないようでないといけない。
具体的に判定する基準を勝手に述べると、こんな感じかと思う。 日本語のルールの場合、100文字程度で説明が収まる必要がある。 箇条書にするなら、3項目以内が理想的である。
ルールの理解そのものが難解では、とても普及しない。 はじめてのパズルの場合、ルールを理解しなければならないが、 人は理解に時間を取りたくない。 一瞬で理解できないようなルールだと、遊ぶのを放棄する。 放棄させないためには、読めばすぐに理解できるようなルールでなければならない。
最近では、フラッシュでルールを説明したりしていて、 より分かりやすくする工夫は行なわれている。 それでも、ルールが複雑だと、フラッシュの説明も長くなって、 いったいいつまで続くのだろうと思われてしまう。
パズルブームのせいもあって、電車の中でパズルを解いている人もずいぶん増えた。 それを横から興味津々で覗いている者も少なくない。 できることなら、解いているところを見ているだけでルールが分かる くらいが望ましい。
頭を悩ますのは、ルールではなくて、問題でなければならない。 ルールは過不足無く、どこまでもエレガントでなければならない。
パズルそのものは、日本だけでなく、世界中で多数の人が普及を夢見て 考案し続けている。しかし、多くの人に遊んでもらう、 単行本になる、あるいはネットで公開すれば多数の人が遊びに来る、 という状態にまで発展するパズルはほんの一握りでしかない。 本当に千三だ。
そういう生き残ったパズルのルールを見ると、 見事なまでに簡素化されていて、 最初に挙げたシンプルさの条件を満たしている。 ナンプレのルールは、エレガントさにおいて、代表選手だ。
豊富な解法テクニック
パズルは、解いて面白くなければならない。 勉強のように義務でやるものではなく、 面白くなってついついやってしまうものである。
では、面白いとはどういうことであろうか。 これはとても難しい質問だし、客観的に答えるのは不可能に近い。 しかし、何とか説明しようと思う。
面白いの反対は、つまらない、退屈だろう。 つまり、いつも同じやり方をして解くような問題だと絶対につまらないだろう。 単調でないのが良いのではないだろうか。
そのためには、解くためのテクニックがいくつも存在しなければいけない。 万能のテクニックが1つだけあって、それを使えばどんな問題でも簡単に 解けてしまうのではつまらない。
たとえば、2次方程式には万能の解の公式があり、 とにかく公式に値を当てはめると頭を使うことなく、 どんな問題でも解くことができる。 こういう公式は便利であり、確実だが、面白いだろうか。 延々と2次方程式を解いてみたくなるなんてことはあり得ないだろう。
解くためのテクニックが沢山あって、どれを使うかで、 効率良く解き進むことができたり、回り道をすることになったりする。 これはパズルに限らず、数学の問題に限らず、 多くの複雑なことを解決する場合に発生する。
解法テクニック発見の喜び
沢山のテクニックがあると、テクニックの発見も遊ぶ人に喜びを与える。 人からテクニックを教えてもらうよりも、 自分で見つけてしまったときの方が、当然喜びは大きい。 そして、テクニックを発見してしまうと、 自分はパズルの天才ではないかと勝手に思いこんだりする。 ほとんどのテクニックは誰かがすでに発見しているものなんだが。
こういう理由もあり、 解法テクニックをインターネットで公開することに反対したり、 心よく思わない者もいる。 せっかくのパズルの楽しみを台無にしているという考えだ。
自分でテクニックを発見していきたい者は、 どうせ公開されていても見たりはしないものだ。 解答やテクニックを見たい者は見て勉強し、 独自に苦しむ楽しみを味わい尽くしたい者は、ちゃんと味わうものである。
下手な杞憂はする必要は無い。 どうせ、今の時代、有名なパズルに関する解法テクニックは インターネット上にいくらでも転がっているものだ。
難易度の幅広さ
パズルは「頭を悩ませる」ために存在する。 だから、簡単に解けてしまっては面白くない。 でも、あまりにも難しいと、誰も解けなくなって、誰もやらなくなる。
したがって、これから始めようとする人のための入門的な問題はぜひ必要だ。 しかし、入門的な問題は簡単に解けてしまうため、 何問解いても、解けた喜び、 もしかして「自分は頭が良いのだ」という思いこみもできない。
だから、入門が済んだら初心者向け問題が用意されていなければならない。 基本的なテクニックを身に付けていれば、あるいは自分で発見できれば 解けてしまう程度の問題だ。 新聞や週刊誌などに掲載されている、 人集めのためのパズル問題はだいたいこの当たりだ。
しかし、ここで終ったのでは、とても普及はしない。 ちょっと頑張らないとできないような、 中級者向の問題が用意されていないといけない。 初心者が努力したくらいでは歯が立たないようなレベルの問題が解けるようになると、 初心者に対して優越感を持てるようになり、 そろそろパズルに本格的にはまり込む。
さらに、どんな問題でも解けると思い始めた中級者には解けないような 難問を用意することが重要だ。いわゆる難問集という類である。 囲碁や将棋でいえば、有段者向きというレベルだ。 解くためのテクニックも、上級レベルも含めほとんどを知っている。 試行錯誤しないと解けない問題以外は何でも解けるというレベルだ。 そして、問題を自作が可能になってくる。
このように、どんどん高いレベルの問題が作れることがとても重要だ。 クリアしてもクリアしても、まだ上が存在するのが重要だ。 そして、いくつもの壁を超えて行くのに時間がかかり、病み付きになっていく。
難易度の連続性
やさしい問題だけでは詰まらない。 難しい問題だらけでは、誰も遊んでくれない。 実際には、やさしい問題から難しい問題まで、 連続的な難易度で問題を作れなければならない。
最初はやさしいけれど、ある点を過ぎると急に難しくなって、 どう頑張っても人間が解くことはできないだろうというのではダメだ。 難易度に、大きな不連続点があってはならない。
多くのパズルが、難易度の巾の広さと連続性が足りなくて普及しなかった。 用心しないと、難易度が急激に上昇してしまう傾向がある。 問題のサイズが大きくなったとき、一気に難度が上昇するものがあるが、 そういうのは楽しそうに見えても、結局普及しない。
一番望ましいのは、ちょっと頭が良いとうぬぼれている人が、 相当頑張れば出来る程度の難易度である。
ナンプレを難易度の面から判断すると、非常に望ましいことが分かる。 非常にやさしい問題から、非常に困難な問題まで、 そしてその中間の様々なレベルの問題を自由に作ることが可能だ。
問題の量産
どんなに面白いパズルでも、たった1問しか存在しなかったら、 その問題を解いてしまえばおしまいである。 もちろん、1つの問題を別の方法で解くというのは考えられるが、 それは別の話だ。
一問解ければ、また次の問題に挑戦できると、 ついつい解いてみたくなる。 そのとき、次の問題はちょっとだけ難しくなっているのがよい。 こうして、ほんの少しずつ難しくなる問題を順番に解いて行くだけで 次第に解くテクニックも身についてしまうのが理想的だ。
同種のパズルの問題が100問くらい載っているパズル問題集が何冊も出ている。 そして、最初はそのパズルをまったく知らなくてもルールを読めば解ける程度の 極めてやさしい問題から始まり、 最後はベテランでないと解けないような問題になっている。
こういう本、1冊解けば中級者くらいにはなれるように作られている。 1冊解き終えると、また次が解きたくなる。 でも、普通は途中で挫折し、別の本に手を出す。 上達したと思ったら、次の本は後半だけを解こうとする。
そのうち、全部が上級者向きのパズル本でないと満足できないくらいの 中毒症状に陥り、難問集とか、激辛というタイトルのパズル本に手を染める。
ということで、中毒患者は、何冊もの同じパズル本を解かずにはいられなくなる。 もちろん、全部異なる問題でなければならない。 したがって、ひとりで数百問解くパズル中毒患者は珍しくない。
病状が進行すると、好きなパズルの本は全部買いあさり、 難しい問題は全部解かないと、仕事も勉強も手につかなくなる。
しかし、腕が上達すれば、1冊を週末だけで解き終えるようになるので、 それほど時間を無駄にすることもなくなる。 そして、パズル提供側は、どんどん問題を提供し続けなければならない。
量が提供されると解く側のレベルが上昇する。 それとともに、問題作りのレベルも上昇していく。 量産によって、解く側、作る側、ともに進歩していく。 だから、最初の頃よりも、普及し始めて数年たってからの問題の方が面白い。 パズルの消費者も生産者も成長するのだ。
今は、ずいぶんたくさんのパズルサイトがあり、 そのうちのかなりが無料でパズルを楽しめるようになっている。 それも、毎日新しいパズルが提供されるものも珍しくない。 とくに海外のナンプレのサイトはそうなっている。 ただし、問題の質が甚だしく劣悪なサイトも多い。
ネット上の場合、いくらでも工夫ができる。 1問解き終えたら、解き方を評価して、次に解くと良い問題を提供することもできる。 そのとき、大量の問題のストックがあれば、より適切な問題を提供できる。 このあたりを工夫すれば、e-ラーニングそのものだ。
既出問題をときどき混ぜても分かるまいと思うかも知れないが、 鋭いパズラーの目はごまかせない。 延々と問題を作らなければならない。 それも、面白い、美しいなど中毒患者向けにはどんどんハイレベルな 問題を提供しなければならない。
量が提供されると解く側のレベルが上昇する。 それとともに、問題作りのレベルも上昇していく。 量産によって、解く側、作る側、ともに進歩していく。 だから、最初の頃よりも、普及し始めて数年たってからの問題の方が面白い。 パズルの消費者も生産者も成長するのだ。
世界に通じるパズル
言語パズルは不利
クロスワードは、言葉のパズルであり、言語に大きく依存する。日本語でクロスワードと言った場合、マスにはカタカナを1文字ずつ入れる。全部漢字を入れることにすれば、熟語パズルもできる。
しかし、こういう言葉系のパズルは、普及する範囲が限定される。日本語のクロスワードパズルは、日本語ができる人には楽しんでもらえるが、日本語圏以外では意味がない。
日本語を使うのは、地球上の人口の約2%に過ぎない。いくら頑張って良い問題を作っても、世界に普及することはない。言語系のパズルを作るなら、国際的に通用する英語で作らないととても不利だ。
非言語パズル
世界に普及させるには、言語に頼らないパズルしかない。記号、数字など、世界共通のものだけを使えば、まったく同じ問題を日本だけでなく、そのまま海外へも提供できる。
2%の人々に楽しんでもらうよりも、世界中の人に自分の作った問題が楽しんでもらえる方が、よほど面白いではないか。日本国内で徹底的に普及しても、せいぜい1億人に遊んでもらえる程度である。しかし、世界に普及してしまえば、たった2%に普及したとしても、日本の人口以上の人に遊んでもらえるのだ。夢のような話ではないか。
ルールなどは英語などで書く必要があるが、そこさえ克服すれば、あとは世界の人が遊んでくれるかもしれない。
今、ナンプレ(SUDOKU)が全世界で流行っているが、1〜9までの数字を使うだけなので、ルールを知っている人ならば、日本で売られている本を入手しても大丈夫だ。ルールなどだけ英語を含む何か国語かで書いておけば、多国語対応のパズル本になってしまう。
世界に普及してしまったパズルなら、問題だけで十分楽しんでもらえる。